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The Adventures of Tom Sawyer トム・ソーヤの冒険

アメリカ映画 (1938)

三原色式テクニカラー(Three-strip Technicolor)を使ったごく初期のカラー映画作品。全編テクニカラーの長編映画は、『虚栄の市』(1935)が第1号。1937年には世界初の長編アニメ『白雪姫』にも採用され爆発的人気を得た。『トム・ソーヤの冒険』はその翌年の製作、『風と共に去りぬ』の1年前にあたる。三原色式テクニカラーは、撮影した映像をプリズムで分解し、赤青緑の3つのフィルターを通して3本のモノクロフィルムに焼き付ける方式。その後、モノクロフィルムを三原色の染料で染め、1本のフィルム上に重ね合わせるという複雑な工程を辿る。一番分かりやすく解説しているサイトは、http://www.digital-intermediate.co.uk/examples/3strip/technicolor.htm。元は3本のモノクロフィルムなので、長期保存に耐える。そのため、1952年に開発されたイーストマン・カラーに比べて褪色に強い。今回紹介する『トム・ソーヤの冒険』も、1938年の撮影とは信じられないほど色彩は自然だ。トム・ソーヤは、アメリカの文豪マーク・トウェインの代表作だが、思ったより映画化は少ない。原作は1876年だが、現在入手可能な実写版(アニメを除く)は、1938年版、1968年のTVミニシリーズ版、1973年のミュージカル版、1982年のソ連版、2014年のドイツ版の5作品しかない。絶え間なく作り続けられているディケンズの『オリバー・ツイスト』とは大違いだ。後者のほとんどはイギリス製なので、アメリカは自国の作家に冷たいのかとも思ってしまう。私は『トム・ソーヤ』の5作のうち観たのは1938、1973、2014のみだが、原作に忠実なのは1938年版のみ。1938年版では、台詞1211ラインのうち、実に271ラインが原作の文章とほぼ同じ言葉を使っている。例として、トムが猫にペインキラーを飲ませた時、ポリー伯母さんとする会話。

 伯母(映画):「Now, sir, what you want to treat that cat so cruel for?」
 伯母(原作):「Now, sir, what did you want to treat that poor dumb beast so, for?」
 トム(映画):「I done it out of pity for him. 'Cause he hadn't any aunt.」
 トム(原作):「I done it out of pity for him -- because he hadn't any aunt.」
 伯母(映画):「Hadn't any aunt, you numbskull! What's that got to do with it?」
 伯母(原作):「Hadn't any aunt! -- you numskull. What has that got to do with it?」
 トム(映画):「Because if he'd had one, she'd have roasted the innards out of him without any more feeling than if he was a human.」
 トム(原作):「Because if he'd had one she'd a burnt him out herself! She'd a roasted his bowels out of him 'thout any more feeling than if he was a human!」

以前、紹介した映画の中で、ルーマニア映画『Amintiri din copilărie(少年時代の想い出)』(1965)では、1885年の原作と台詞がほぼ同じだったため、原作を用いて映画の訳がある程度可能になり驚いた。この1938年版の『トム・ソーヤ』でも似たことが起こっている。そういえば、『小公子』(1936)でも、映画は原作に忠実だった。それが昔のやり方なのだろうか?

映画は、台詞だけでなくストーリーの進行もほぼ原作に忠実に進めている。第1章の「泳いで遊んできたことを否定するがシドの告げ口でバレる」ところ、第2章の有名な「壁のペンキ塗り」からは、①黒ん坊ジムへの押し付け失敗、②ベンを始めとする多くの少年に対する押し付け成功、第3章の「伯母さんへの成果報告」。ただし、その後のシドの告げ口への仕返しは、シドの性格設定が原作より意地悪になった分、より激しくなっている。その後のベッキーとの初対面にもシドを登場させ意地悪をさせている。第4章からは、カードの交換と、その後の褒賞としての聖書の贈呈が再現されている。前半は短め、後半はシドを重視し、ベッキーも登場させてより長くしている。第5章はカット。原作の第6章は長くて3つのパートに分かれるが、映画ではまず、最後の「学校に遅刻し、罰として女の子の席(ベッキーの隣)に座る」シーンを採用し、続けて第20章の「ベッキーが鞭で叩かれそうになるのを救って英雄視される」シーンにつなぎ、その後、第7章の「ベッキーとの婚約と大失言」に至る。映画なので、似たようなシーンを一つにまとめた簡略化だ。その次が、先の第6章の第2パート「ハックと猫」となり、そのまま第9章の「墓地の惨劇」へと移行する。そして、第10章の「沈黙の誓い」、第11章の「トムの良心」と続くが、全体に簡略化されている。トムがペインキラーを飲まされる理由は違っているが、第12章の「ペインキラーと猫」のシーンは忠実に再現されている。ただし、その後に、原作では第3章の最後にあった「シドの砂糖壺の意地悪」が追加され、トムの厭世観が増幅される。そして、第8章をかなり変えた「海賊志願」を経て、第13・14章の「ジャクソン島でのキャンプと水死者の捜索」の簡略版、さらに、第15章の「ひそかに家へ」の忠実な再現と続き、第16章をカットし、第17章の「自分の葬儀に出席する3人」となる。このシーンは本来もっと感動的なのだが、映画では叱られる一方だ。それを受けてトムが「ひそかに家へ」の時に見聞きしたことを夢として話す第18章と、それがバレる第19章はほぼ原作に忠実。いつもながらシドはより意地悪。ここから、面白みのない第20~22章はカット。第23章の「冤罪を着せられたマフを裁判の証言で救う場面」はほぼ同じ。ただし、最後にインジャン・ジョーがトムにナイフを投げつけるのは原作になく、逆に後の映画では好んで使われているので、この映画の影響は大きい。その後の第24~28章の中には、その後の映画では必ず採用されている「廃屋での宝」のシーンがあるが、映画ではなぜかカットされ、いきなり、「洞窟探検~奥に入り込み過ぎ~出られなくなる」(第29章後半~第33章)へと続く。金貨の発見は「廃屋」のシーンがカットされているので唐突の感を拭えない。洞窟からの脱出から第34章の「金貨披露」までは、あまりにも短く、しかも、そこで突然終りを迎える。最終章(36)はカット。少しくどかったが、ほぼ原作通りの順番で、カットも最小限にして映画化されていることが分かる。登場人物の設定で原作と違うのは、ポリー伯母がより「険悪」で「優しさ」に欠け、シドが「実に嫌な少年」になっていること。

トム・ソーヤ物の映画化について一言。『トム・ソーヤの冒険』(1876)の後、マーク・トウェインは『ハックルベリー・フィンの冒険』(1884)で高い評価を得るが、このハック・フィンの全42章のうち32章からトム・ソーヤが登場し、物語の主役はトムに移る。この部分はあまり評価が高くないらしく、映画化にあたっても無視されてきた。しかし、マーク・トウェイン自身はトム・ソーヤ物の続編をその後も書き続け、『Tom Sawyer Abroad(トム・ソーヤの探検)』(1894)、『Tom Sawyer, Detective(トム・ソーヤの探偵)』(1896)の邦題で出版されている。こちらの方の映画化は皆無に近く、現在観ることのできる後者(1938の映画)も、原作が無残に解体され、トムが栄光に包まれる裁判のシーンも、散々な出来栄えでがっかりさせられる。ここで、さらに脱線すると、トム・ソーヤ物にはさらなる続編がある。『Huck Finn & Tom Sawyer Among the Indians (ハック・フィンとトム・ソーヤ/インディアンと共に)』と、『Tom Sawyer’s Conspiracy (トム・ソーヤの陰謀)』だ。前者は9章の途中で断章、後者は10章の途中で断章の未完の作品だ。しかし、『トム・ソーヤの探検』も『トム・ソーヤの探偵』も全13章であることを考えれば、未完の2作はほぼ完成状態なのかもしれない。ともに、http://twainian.tumblr.com/works の冒頭の「Written Works」の「The Tom Sawyer Series」一覧の中の該当作をクリックすれば、全文を読むことができる。なお、下の写真は、『トム・ソーヤの探偵』(1938)の中の裁判のシーンのトム(演じているのはBilly Cook)。


トム役のトミー・ケリー(Tommy Kelly)にとっては、映画初出演にして初主演。1925年4月6日生まれで、撮影は1937年7-10月なので、撮影時は12歳。子役時代に12本の映画に出演している。受賞歴はない。シド役のデイビット・ホルト(David Holt)は1927年8月14日生まれなので、撮影時は9-10歳。このことからも、映画の中で、トムと同年を思わせる箇所があるのは不適切。彼にとっては、この映画は、17本目の出演作になるので、トミー・ケリーと違って超ベテラン。「臭い」演技が多いのはそのためか? ハック役のジャッキー・モラン(Jackie Moran)は1923年1月26日生まれなので、撮影時は14歳。映画出演は6作目。


あらすじ

映画は、原作と同じように、トムが夕食の時間になっても姿を見せないので、ポリー伯母さんが玄関ドアの前に立って「トム!」と叫ぶところから始まる。一方、トムはミシシッピー川に突き出た大木にロープをつけ、飛び込んでは遊んでいる。そして、メインタイトル。ちっとも戻って来ないトムと比べ、シドは食卓でも本を手放さない。そこで、伯母は、「トムとシドが“half-brother”だなんて、誰にも分からないだろうよ」と言う。原作にはない台詞だ。伯母は原作よりキツくて、トムへの愛が足りない。ここで、敢えて“half-brother”と書いたのは、シドが誰なのかについて、ちゃんと書かれたものがないため。原作fでは、メアリはポリー伯母の実の娘なので、シドも息子だと思いがち。しかし、“half-brother”は異父弟、異母弟のどちらか。トムの母はポリー伯母の妹なので、異母弟なら、トムとは母が違うことになり、伯母との血縁はゼロ。だから、異父弟でしかありえない。ということは、トムの母は、トム(12歳くらいとされている)を産んで数年で再婚し、シド(9歳くらいとされている)を産んだことになる。そして、2人ともメアリとは「いとこ」の関係にある〔シドのモデルは、トウェインの実弟ヘンリー・クレメンズ〕。この伯母の偏見に満ちた言葉に対し、シドは、「日曜学校で聖書の言葉をちゃんと覚えてれば、もっといい子になってたかもね」と嫌味たっぷりに答える。原作のシドは、もう少し「トム兄さん」を年長者として「配慮」するので、映画のシドは「憎たらしい」の一語に尽きる。その頃、黒ん坊のジム少年〔敢えて、原作に忠実に差別用語を使う〕が、トムをこっそり食卓に忍び込ませようと、ポリー伯母を呼んで薪について質問する。だから、伯母が食卓に戻ると、トムがちゃっかり座っている。「カラスの巣みたいな髪だね」(1枚目の写真)。伯母は、泳いできたに違いないと、探りを入れる。「学校じゃ、結構暑かったじゃないかい?〔原作は“middling(結構)”ではなく、“powerful(ひどく)”を使っている〕」(原作と同じ台詞は青字)。「うん、伯母さん〔Yessum=Yes ma'am、原作はYes'm〕」。「泳ぎに行きたくならなかったかい?」。「ううん、伯母さん、あんまり」。「でも、今じゃ、暑くなさそうだねぇ」。「みんなで井戸水をかぶったから。ほら、まだ湿ってるでしょ〔髪を触らせる〕」。伯母はメゲない。「頭からかぶっただけだから、私の縫ったシャツの襟は外れてないはずよね」。糸はちゃんと残っていた。伯母はがっかりする。しかし、すぐにシドが口を出す。「伯母さんが縫ったの、白糸じゃなかった?」〔映画の方が断定調〕(2枚目の写真)。「そうよ」。「でもそれ、黒糸だよ」。トムは、シドを睨み付ける(3枚目の写真)。
  
  
  

原作では、トムはすぐに逃げ出すが、映画では、伯母に耳を捉まれ、寝室に行かされる(1枚目の写真)。従って、次のシーンは映画だけのもの。一旦寝室に入ったトムは、すぐに窓から脱出(2枚目の写真)。しかし、それを予想して待ち構えていた伯母に板で尻を叩かれ(3枚目の写真)、慌てて雨どいを登る。
  
  
  

金曜に学校をサボって遊びに行ったトムは、土曜にペンキ塗りをさせられる。この有名な挿話、実は使われるのはペンキではない。原語でも英語でも“whitewash”。直訳は「水漆喰」。「石灰と水を混ぜた溶液で、木造部を白く塗るのに用いる」とある。原作のトム・ソーヤの設定年代は1840年代。アメリカで、いわゆるペンキが発売されたのは1866年からなので、ペンキ塗りではなく、水漆喰塗りと言わないといけないのだろうが、何となくピンとこない。この場面、映画ではシドが悪役ぶりを発揮する。トムが使えるように、大きなバケツ3杯分の水漆喰を混ぜておいたのはシドだった。トムは、「この塀全部に塗るの?」と戦々恐々だ。「隅から隅までおやり」(1枚目の写真)。シドが、「縞々になっちゃダメなんだよね、伯母さん」と割り込む。「そうとも」。伯母がいなくなると、シドは、「泳ぎにいけないって、みんなに言っとくよ」。そして、手で嫌味にバイバイ(2枚目の写真)。シドは、トムが脱げ出したら伯母にチクってやろうと、塀に開いた木の穴から覗いている。それに気付いたトムは、刷毛に水漆喰をたっぷりつけると、いきなり穴に向かってぶつける(3枚目の写真、矢印はシドの目)。顔が真っ白になったシドは、「ポリー伯母さん!」と叫んで逃げて行く。このシーンも原作にはない。
  
  
  

次に現れたのは、ジム。このシーンは、後続の映画では採用されていないが、ここでは原作の半分ほどが再現されている。①トムはジムに塗らせようとするが、②ジムは、奥様から絶対に手を貸すなと言いつかっていると断る(1枚目の写真)。③トムは、水漆喰を塗ったら足の指のケガを見せてやると勧誘し、④ジムがその気になったところを伯母にぶたれるという順番。そこに、友達のベン・ロジャースがミシシッピー川の蒸気船の真似をして通りかかる。トムは、水漆喰塗りをベンにやらせる名案を思いつき(2枚目の写真)、熱心に塗り始める。ベン:「これから僕は泳ぎに行くけど、君は仕事があるもんな」。「これが『仕事』だって?」。「仕事だろ?」。「僕が知る限り、こんなことがやれるのはトム・ソーヤだけさ」。「なあ、トム、ちょっとやらせろよ」。トムは拒む。ベンは、かじっていたリンゴの芯を交換に申し出るが、トムはそれも拒否。「これもやるからさ」と言ってポケットから出したのが、ドア・ノッカー(3枚目の写真)〔原作では、リンゴの芯→リンゴ丸ごと。ドア・ノッカーはない〕
  
  
  

「犠牲」になる少年は次から次に現れ、トムの「宝物」は増えていく。原作と違う点は、マイナーな方は、もらったものが違う点。メジャーな方は、少年は1人ずつ交代に現れるのではなく、いっぺんに全員が塗っている点(1枚目の写真)。何れにせよ、これで大きなバケツ3杯の水漆喰は空になった。トムは大声で、「ポリー伯母さん!」と呼ぶ。伯母は外に出てきて、「何の用だい? 仕事もせずに邪魔立てばかりする気かい?」と訊く〔原作より、キツい〕。「遊びに行っていい?」。「ちょっとは済んだのかい?」。「全部だよ。3回塗りさ」。「嘘なんかついて、うんざりだよ」。「見てよ」。伯母はあまりの完璧さに仰天する(2枚目の写真)。「これは驚いた〔Well, I never〕! 手抜きもしてないし〔There's no getting 'round it./通常は「避けて通れない」と訳すが、この場合は直訳した〕。その気になればやれるのね。遊びに行っておいで」とお褒めの言葉(2枚目の写真)。トムが、塀の途中に置いてあったバケツを中に放り込むと、そこにちょうどシドがいて、バケツを頭から被る。映画では、服が真っ白になっているが(3枚目の写真)、バケツが空になるほど3度塗りしたので、実際にはこんなになるハズはない〔油性ペンキと違い、乾燥する前なら水で洗えば落ちるし…〕
  
  
  

次の場面は、トムがエイミーと道で会うシーン。エイミーはトムと「婚約(ごっこ)」をしているので、いじらしいほど親しげだ。原作ではエイミーは殆ど登場しないが、映画では「可哀相な犠牲者」として何度も顔を見せる。これがその1回目で一番長いが、結局は、新来者ベッキーの「ダシ」代わりに使われている。トムが、「誰が引っ越してきたんだろう」と家を見ると、そこに見たことのない女の子がいる。エイミーは、「母ちゃんが、新しい判事さんだって言ってた」と教えた後で、「あの子、とってもバカで、ヒドいんだって。母ちゃんは、遊んでおいでと言ったけど、しないわ。ブスだもん。みんなの除け者ね」と対抗意識を燃やす。トムは、新しい女の子に惹かれたので、水疱瘡からやっと治ったエイミーを「斑点が2つある」と言って脅して去らせると、庭で花を摘んでいる白いドレスの少女の近くに寄って行き、柵越しに、「素敵な子、誰なんだろう」といった感じで窺う(1枚目の写真)。それに気付いた少女は、わざと目線を合さないようにする。トムは、柵の前で宙返りをして(2枚目の写真)失敗し、少女は思わず笑う。その時、家の中から「ベッキー」と母親が呼ぶ。ベッキーは家に入る前に、柵越しに花を1輪トムに投げて寄こす。彼女は、家の中に入っても窓越しに見ているので、トムは柵の上に上がると、持っていた鷲の羽を鼻の上に立て、それを倒さないように柵の上を歩いてみせる。しかし、そこには意地悪シドが現れ、トムが上を向いて歩き始めると、柵の扉を開けてしまう(3枚目の写真、矢印は羽)。トムは当然 転落する。それでもトムは、原因を追及することなく、もらった花を足指で拾いあげて胸に抱く。原作では、この場面にシドは登場しない。
  
  
  

次の場面は、日曜学校。トムは入口の階段のところで、ベッキーが現れるのを今か今かと待っている。そして、ベッキーが微笑んでくれると有頂天に。そこに、ベンが現れる。トムは、帽子の中に入れておいた蛙を、「青6枚と黄6枚」と交換するよう頼むが、ベンが持っていたのは「青4枚、黄5枚」。それでも交渉成立(1枚目の写真、矢印は蛙)。原作では、相当数の少年と「交換」することになっている。聖書の言葉を2つ暗唱できると、青カード2枚がもらえ、青カード100枚で黄カード1枚、そして黄カード10枚でご褒美の聖書がもらえるという仕組み〔2000の言葉を覚える必要がある〕。今日の日曜学校の特別ゲストは、新任の郡判事〔映画では“magistrate of county”、原作では“county judge”〕。1840年代のミズーリ州の郡数は11?(現在は114)。アメリカの州の数は27~30(現在は50)なので、今よりは相対的な地位が高かったかもしれない。校長は、聖書の贈呈式を行おうとシドを呼び出すが、シドが差し出した黄カードは8枚しかなかった。シドは、「ここに着いた時は10枚あったんです」と恨めしそうに言う〔原作にはない〕。校長は、他に誰か持っていないか尋ねる。すると、トムが嬉しそうに手を上げる(2枚目の写真)。校長は、トムの過去の実績から「ありえない」と分かっているので無視しようとするが、トムは立ち上がって、「ウォルターズ先生、聖書下さい」と言って前に進み出る。カードは確かに10枚あり、トムのことを知らない判事は、感激して聖書を贈呈しようとする。「さてさて、わが小さき紳士君、君の名前は?」。「トム」。「いや、トムではないだろ。そうじゃなくて…」。「トマス?」。「だが、もう一つ名前があるんじゃないかね?」。ここで、校長が、「苗字を言いなさい、トマス、“sir” をつけるのを忘れないように」と念を押す。この時の映画の返事は「Sir Thomas Sawyer」と突飛なもの。原作では、「Thomas Sawyer - sir.」と常識的な返事になっている。判事は、十二使徒のうち最初の2人の名前をトムに言わせようとする。困ったのはトム(3枚目の写真)。ネットで調べても最初の弟子がペテロとは書いてあったが、2番目が誰かは分からなかった。結構難しい質問だと思うのだが… トムに分かるはずはなく、答えたのは「アダムとイヴ」〔原作では、ダビデとゴリアテ〕。何も知らないことがバレたのは言うまでもない。
  
  
  

恐らく翌日の月曜日、トムは授業に遅刻する(原作の6章)。すぐに見つかり、「トマス・ソーヤ!」と呼ばれる。「ここに、来なさい。聞かせてもらおう〔Now, sir〕… なぜ君は、遅刻したのかね?」〔すごく嫌味な訊き方〕「また、女の子の席につきたいのかね?」〔恥ずかしい罰〕。それを聞いたエイミーは、隣に座れるように寄る。しかし、トムの目は1人で座っているベッキーをとらえる。そこで、確実に罰せられるよう、「ハック・フィンと話していました」と答える。原作では、重罪ということで「腕がつかれるまで鞭で打たれる」が、映画では、女の子の席に座るだけで許される。トムは、教壇に置いてあったリンゴを1つ頂戴してベッキーの隣に座る。無視されたエイミーはお冠。トムは、座るとすぐに、リンゴをベッキーの前に置くが(1枚目の写真)、ベッキーは突き返す。授業が進み、トムは自分の石盤〔slate〕を手で隠し、何か書いている。一方、ベッキーは、先生の絵を描き、下に「ドビンズ先生」と書く。ベッキーのを見せられたので、トムも自分の石盤を見せる。そこにはベッキーの絵と、下に、「I LOVE YOU」と書いてあった〔原作と同じ〕。ベッキーは「いけない人ね!」と怒るが、原作では、「嬉しそう」とあるのに対し、映画ではトムの手を叩き、手を戻す時、力余って自分の石盤を落としてしまう。教師は自分の絵が描かれた石盤を拾い上げ、「描いたのは誰だね?」と訊く。この部分は原作の20章で、「教師が教壇に隠していた医学書のページを破いたのは誰かを問い質す」場面を、無理に差し替えたもの。本を破いた生徒は不特定多数だが、石盤が落ちていれば、「犯人」はその周辺に限られる。ベッキーの机の上に何もないので、教師はベッキーを教壇に呼んで、鞭で叩こうとする〔9本あるうち、一番細い木の棒〕。その時、トムが立ち上がり、「僕がやりました!」と名乗りを上げる。教師は、鞭を一番太い棒に取り替え、お尻を8回叩く(2枚目の写真、矢印は鞭)〔変なのは、それを見てシドが笑う→シドは年下で別のクラスのはず〕。本来の席に戻されたトムに向かって、ベッキーは、「あなたって何て気高いの〔How could you be so noble?〕」と書いた石盤を見せる(3枚目の写真)。トムにとっては最高のプレゼントだ。
  
  
  

その日の帰り、トムは小川の水面に映った自分に向かって、ベッキーが石盤に書いた言葉を陶然としてくり返す。そこにベッキーが現れる。その先の2人の会話は、原作の7章とほぼ同じ。これには違和感がある。6章では「I LOVE YOU」と書き、全面否定されなかった程度の仲。ところが、20章では、「あなたって何て気高いの」と、偶像崇拝に近い。一旦そこまで好かれたのに、また振り出しに戻るような感じがする。トムは、「婚約」しようと迫り、そのためには、「I LOVE YOU」とお互いの耳に囁く必要があると納得させる(1枚目の写真)。そして、それが済むとキスを交わす(2枚目の写真)。「これ以後、君は、僕以外の誰とも結婚しちゃいけないんだよ」。「あなたも、私以外の誰とも結婚しちゃだめよ」。「もちろん、それが決まりなのさ」。「素敵ね。こんなの、聞いたことなかったわ」。「楽しいものだよ」。そして大失言。「前に、僕とエミーが…」。ベッキーに、エミーとの婚約がバレてしまった。トムは許してもらおうと、2番目の宝物のドア・ノッカーをプレゼントしようとするが、判事の娘にはガラクタにしか見えない。トムはとっておきの宝を帽子の中から取り出してベッキーの手に握らせる(3枚目の写真、矢印)。それは蛙だった。ベッキーは悲鳴を上げると逃げていった。
  
  
  

トムが通りでハックと話している。原作では、先の6章でトムが遅刻した際、「ハック・フィンと話していました」と答えた部分に該当する。ハックは猫の死骸を持っている。目的は、イボを取るため。「あのな、真夜中に、猫を持って、誰か悪い奴が埋められてる墓場に行くんだ。悪魔が死体を取りに来た時、『悪魔は死体に、猫は悪魔に、イボは猫についてけ。お前とはおさらばだ』と言うと、どんなイボだって取れる」(1枚目の写真)。「いつ試すんだ?」。「今夜ホスを埋めるだろ。だから、悪魔も今夜くると思う」。トムは、夜、猫の鳴き声で呼んでくれと頼んで、学校に向かう。その夜、トムはハックと墓地に向かう。原作では9章にあたる。墓地には何者かがいる。トム:「悪魔がいる」。ハック:「俺たち、もうダメだ。祈れるか?」(2枚目の写真)。「やってみる」。しかし、それは悪魔ではなく、死体を盗みにきた若い医者と、穴掘り役のマフ・ポッターとインジャン・ジョーだった。盗掘費の上乗せで口論となり、医者が2人を杖で殴り倒す。怒ったインジャン・ジョーは、マフ・ポッターが持っていたナイフで医者を刺し殺す。そして、マフ・ポッターが泥酔していることをいいことに、すべてを彼の犯行にしてしまう。トムとハックは全速で逃げ、ひと気のない納屋まで来ると、「口外すればインジャン・ジョーに殺されるから黙っている」と決め、誓いを立てる(原作の10章)。「ハック・フィンとトム・ソーヤは、黙っていると誓います。もし、口にしたら、その場で死んでも構いません」(3枚目の写真)。
  
  
  

殺人を目撃してしまったトムの心は重く沈み、居間のイスに座ったまま身動き一つしない。シドが、「学校から帰ってから、ずっとあんな風だよ」と伯母にご注進。さらに、「寝ながらしゃべったりするから、半分も寝られないんだ」と文句を言うのも忘れない。伯母に「何考えてるんだい、トム?」と訊かれても、「別に」としか答えない。原作では、伯母はトムを元気にしようとあらゆる手を尽くすが、映画ではすぐに最終的な最強手段の「ペインキラー」を飲ませる。それが何かは不明だが、原作には「It was simply fire in a liquid form(液体になった火そのものだった)」という表現がある。伯母が薬を取りにいっている間、シドは、「『血だ、血が溢れてる』って言ってたよ。それに、『言わない』〔原作では、『堪忍してよ、言うから』〕って。何を言うんだい?」と訊く。トムは自分の寝言に戦々恐々だ(1枚目の写真)。その時、伯母が「ペインキラー」のビンを持ってきて木のスプーン1杯分を口に入れ、背中をパンと叩いて呑み込ませる。トムは、火を飲み込んだように口を開けて必死に喘ぐ(2枚目の写真)。その間に、シドはニヤニヤ笑い、伯母は2杯目をスプーンに注ぐ。伯母は台所で忙しいのでいなくなり、スプーンを渡されたトムがどこに捨てようか迷っていると、そこに猫のピーターがやってくる。「ホントに欲しいんじゃなかったら、ねだるなよ。確かなんだな? そうか。だけど、気に入らなくても、誰も恨んじゃダメだぞ。お前の責任だからな」と言った上で飲ませる(3枚目の写真、矢印)。猫は気が狂ったようにピョンピョン飛び跳ねる。それを見た伯母は、「猫にペインキラーを飲ませたね?」と問い詰め、トムが返事をしないと、頭を指で弾き、冒頭解説で引用した原作に忠実な会話が始まる。「聞かせてもらおうじゃないの。あの猫になんであんなひどいことをしたんだい?」。「可哀相に思ったからだよ。だって、あいつには伯母さんがいないから」。「伯母さんがいないだって? このトンチキが! 何の関係があるんだい?」。「だって、あいつに伯母さんがいれば、人間と同じように内臓を焼いてもらえるのに」。「口のきけない生き物を残酷な目に遭わせちゃダメじゃないの」。「口のきけない生き物に残酷なら、人間にだって残酷だよ」〔映画のみの追加〕。「でも、トム、お前に良かれと思ったんだよ」。「僕だってそうさ」。立場のなくなった伯母は引き下がる〔原作の12章〕。
  
  
  

この次に、原作の3章にあったシドの意地悪のシーンが挿入される。夕食の時間になり、トムが砂糖壷に手を突っ込むと、それを見つけた伯母に木のスプーンで手を叩かれる。「シドが砂糖を取っても、叩いたりしないじゃないか」。「シドはお前と違って悩みの種じゃないからね」。伯母は去り、シドが砂糖壷に手を伸ばし、落としてしまう(1枚目の写真、矢印)〔演技が下手で、ワザと落としたように見える〕。伯母は、トムが落としたと思い、台所から飛んで来ると、トムの頬をぶつ。原作と違い、メアリが「トムを叩かないで、ポリー伯母さん。壊したのはシドよ」と強い口調で言う〔メアリはポリーの実の娘のハズだが…〕。伯母は、「今回は間違ってたかもしれないけど、これまで 大それた悪さを一杯してきたからね」と自己擁護して、謝ろうとはしない(2枚目の写真)〔3章なら構わないが、ペインキラーの後では、こんなすげない態度は不自然〕。トムは恨めしそうに、台所に行った伯母を見る(3枚目の写真)。そして、食事もせずに、外に出て行く。
  
  
  

気分の落ち込んだトムがベッキーの家の前まで来ると、窓から紙に包んだものが投げられる。喜び勇んだトムが紙を開けると、中にはベッキーにあげたドア・ノッカーが入っていて、紙には「エイミーにあげたら」と書いてある(1枚目の写真)。トムの気分は最低レベルに落ち込む。そこにやって来たのがジョー・ハーパー。2人の話は噛みあわない。トムは、「もし、僕が溺れたら、みんな悲しむかな」「犬みたいにあしらわれた〔ベッキーから〕」「ペインキラーに焼かれた」と悩みをぶつける。一方のジョーは、足が痛いので小さ目の靴なんか履きたくないの一点張り。その2人が一致したのは、ここから逃げ出せば、復讐できるし、靴を履かなくて済むという発想(2枚目の写真)。2人はハックを誘って筏に乗り込む(3枚目の写真)。3人が向かったのは、村から3マイル〔4.8キロ〕ほど下流にある ミシシッピー川の中洲のジャクソン島(長さ約3マイル、幅1/3マイル〔500メートル〕、対岸との最短距離200ヤード〔180メートル〕の無人島)。
  
  
  

翌朝、トムが大海賊マレルになり、ジョーに何度も板歩きの刑をさせる。ジョーは、海賊なんかやめて隠者になると言い出す(1枚目の写真)。その時、川から大砲を撃つ音が響いてくる。3人は、何事かと木に隠れて見に行く。すると、目の前を流れ下る筏から大砲が川に向かって撃たれる(2枚目の写真、中央は発射後の白煙、その下にいるのがトム、左の麦藁帽がハック)。ハック:「誰かが溺れたんだ〔水の上で大砲を撃つと、水死体が浮かび上がるとされていた〕。トムが、「誰が溺れたか分かったぞ… 僕たちだ!」と叫ぶ(3枚目の写真)。トムとハックは大喜びだが、ジョーは、「なあ、トム、みんなホントに僕が溺れたと思ってるのかな?」と元気がない。「もちろんさ。嬉しくないのか?」。「そうだけど、母さんのことが…」と言い、最後には、「家に帰った方がいいんじゃ…」と本音が出る。
  
  
  

その夜、ホームシックに苦しむジョーの横で、トムは、「君も、帰りたいだろ?」と訊かれ、「10年か20年したら」と答える。そして、帰る時には勲章を一杯つけた将軍か、インディアンの酋長か、「海の恐怖」の大海賊かだと勇んで話す(1枚目の写真)〔原作の8章に似た文章がある〕。その後は、ジョーに引きずられて2人とも気分が落ち込む〔原作では、これほどホームシックが強くない〕。ジョーが寝てしまうと、ホームシックにかられたトムはこっそりと抜け出し、ほとんど流れのない川を泳いで渡る。トムは、伯母の部屋に窓から忍び込む。ドアの向こうからは伯母の涙声が聞こえてくる。そこにはジョーの母も来ていて、メアリとシドの4人が揃っている(2枚目の写真)。ジョーの母が、流れついた筏にジョーの靴があった〔3人が水死したと思われた理由〕ことを泣きながら話すと、シドが、「絶対、トムのせいだ」と意地悪く口を挟む(3枚目の写真)。伯母は、珍しくシドを叱る。「もう召されたんだから、トムに一言でも悪口を言ったら承知しないよ」。それを聞いてトムがにっこりする。トムは、「ポリー伯母さん。僕たち、溺れたんじゃありません。海賊になろうと家出したんです。どんなに有名になっても、伯母さんのことは忘れません」と書いた木の皮を取り出し小テーブルの上に置くが、伯母が部屋に入ってくると分かったので、急いでベッドの下に隠れる。
  
  
  

伯母は、ベッドの脇に跪くと、トムの死体が発見され、最後にもう一度顔を見たいと神に祈る。それを聞き、ベッドの下ではトムが涙を流す(1枚目の写真)。その時、外からメアリとジムの話し声が聞こえ、そこで3人の葬儀が日曜に行われることがトムにも分かる。トムは、この情報で名案を思い付き、ベッドの下から這い出ると、木の皮のメッセージを回収し(2枚目の写真)〔生きていることがバレる〕、伯母の額にキスしてから(3枚目の写真)、窓から抜け出す。
  
  
  

3人の葬儀の日。教会には村中の人が集まっている。3人は、誰もいない2階に忍び込み(1枚目の写真)、牧師が「この世を去った少年たちの生涯における感動すべき行いの数々」を語るのを聞いて、自ら涙にくれる(2枚目の写真)。追悼の言葉が終わった時、3人は教会の入口の扉を開けて堂内に入ってくる(3枚目の写真)。原作では、トムとジョーは伯母と母に抱かれ、村人たちも「これほど感動的に賛美歌が歌われるのを聞けるなら、もう一度騙されても構わない」と寛容だが、映画では、トムが、伯母に、「誰に助けられたの?」と訊かれ、「ううん、誰にも。僕たち、海賊ごっこしてただけ」と答えたので、雲行きが急に怪しくなる。伯母は、「海賊ごっこ? 私をこんなに心配させて」とお冠だ。ベッキーもそっぽを向く。
  
  
  

月曜の朝食時。原作では、伯母は「トムにとても愛情深く、何でも言う事を聞いてくれた」とあるが、映画では、トムがお尻をさすっている〔叩かれた〕。映画の伯母はいつも厳しい。トムは、「家出したことや、溺れ死んだと思わせたことは悪いけど、伯母さんの夢は見たよ」と弁解する。「夢だって? そんなもん猫だって見るよ」。シドが、嫌味たっぷりに、「どんな夢なのさ」と訊く〔原作では、伯母の台詞〕。トムは、伯母のご機嫌を取るように、「木曜の夜の夢なんだけど、伯母さんはソファに座ってて」(1枚目の写真)、シドには冷たく、「お前は木箱に腰掛け」、最後にメアリには微笑んで「メアリは、その隣」と話す。メアリは「その通りよ」と驚く。伯母は、「いつも、そんなじゃないか」と相手にしない。「ジョー・ハーパーの母さんもいたよ」。メアリ:「まあ、その通りじゃない〔原作では、伯母の台詞〕。伯母:「他には、何を見たんだい?」。トムは、筏とジョーの靴の話をする。それを聞いたシドは、早くもトムの話を怪しみ始める(2枚目の写真)〔原作ではシドが疑うのは話を全部聞いてから〕。トムは、その先のシドの「絶対、トムのせいだ」を再現してみせ、伯母をびっくりさせる。原作では、その夜の出来事を逐一トムが話し、伯母はますます感心するが、映画では、すぐに、トムの「それから、伯母さんはベッドに入った」に移行し(3枚目の写真)、夢の話は終わる。伯母が去った後、シドは、「あの日のことが何もかも分かってる。そんなのバカげてる〔trash〕! 一つも間違わない夢なんてあるもんか」と如何にもバカにしたように言う。
  
  
  

その後、トムがトマトを食べていると、伯母が険悪なムードで近づいてきて、いきなり耳をつかむと、「トム、生きたまま皮を剥いでやりたいよ」と室内に連れて行く。「僕が何をしたっての、伯母さん?」(1枚目の写真)。伯母は、ハーパーの母に自慢しに行ったところ、相手から、トムがその夜こっそり帰宅して盗み聞きしていったことを知らされ、大恥をかいたのだ。それを見たシドはザマミロとニヤニヤ(2枚目の写真)。トムは、「悪かったよ伯母さん、だけど、悪いなんて思わなかったんだ〔I didn't mean to be mean.〕。ホントだよ」と弁解する。「それに、あの夜ここに来たのは、面白がるためじゃないよ。溺れちゃいないから心配しないで、って言おうとしたんだ」。伯母は、当然、「なら、なぜ言わなかったんだい?」と問い質す。トムは、日曜の葬儀のことを聞いたので、教会に隠れていることにし、木の皮をポケットにしまったと話す。木の皮のことを聞かれ、書いた内容を話し、「まだ、ポケットに入ったままだよ。信じないんなら見てみてよ」と訴えた後、「僕がキスした時、いっそ、起きてくれたらよかったのに」と付け加える。「キスしたのかい?」。「そうだよ、ポリー伯母さん」。「なぜキスしたんだい?」。「伯母さんが大好きだし、悲しそうに寝てたから、申し訳なくって」(3枚目の写真)。その言葉にじーんと来た伯母はトムを許してやる。トムがいなくなってから、さっそくポケットを探って木の皮を見つけた伯母は、トムのすべてを許すことにする。
  
  
  

マフ・ポッターの裁判が始まる。トムとハックは口を閉ざすことを再確認するが、殺人罪で有罪になる可能性が100%だと分かると、夜になってマフの牢をこっそり訪れ、差し入れをする。原作とほとんど同じ台詞の長いシーンの後、トムはわが身に危険が及んでもマフを助けようと決心する。そして、弁護人の唯一の証人として出廷する。弁護士は、「トマス・ソーヤ、君は6月17日の真夜中、どこにいましたか?」と質問する(1枚目の写真)。トムの正面にはインジャン・ジョーが怖い顔をして座っているので、トムは小声で「墓地にいました」と答える。「もっと大きな声で。怖がらずに話して下さい」。トムは、思い切って大声で答える。「墓地です!」。傍聴席は、この驚くべき証言にざわつく。映画では、この後、猫の死骸の証言が続く。ハックの顔が大きく写るのはこの瞬間だけ(2枚目の写真)。原作では、猫のことは1行で終わっている。その後、ようやく、暴かれた墓のそばにいたかと訊かれ、再び小声で「はい」。「どのくらい近くですか?」。「僕とあなたの距離くらいです」。「隠れていたのですか?」。「はい、木の下に」。インジャン・ジョーは、ナイフを投げるフリをして脅す。弁護士に何を見たか勇気を持って話すように言われたトムが、「殺したのはマフじゃありません。医者を刺したのは…」まで話した時、インジャン・ジョーはトムに向かってナイフを投げ、ナイフはトムの頭を掠めて証言台の椅子に突き刺さる(3枚目の写真)。後続の映画でも採用されているこのシーンは、原作にはない。原作では、インジャン・ジョートムに何もせず、窓を突き破って逃げるだけ。さらに、原作では、トムが如何に賞讃され、逆に、夜は復讐の恐怖に怯えたかについて1章を費やしている(24章)。また、後続の映画では必ず採用される25・26章の重要シーン(宝物捜しの最中に、インジャン・ジョーと遭遇し、財宝を目撃するが、危うく殺されかける)は、この映画ではカットされている。そして、映画はいきなり…
  
  
  

「干草用の荷馬車に乗ったピクニック」の場面に(1枚目の写真)。何台かの荷馬車にトムのクラス全員が分かれて乗っている。トムの右にはエイミー、左にはベッキーが座っている。トムはベッキーにお熱なので、エイミーは面白くない。原作では、「あなたって何て気高いの」の後なので、仲のいいのは当然だが、映画では、「ドア・ノッカーを突き返された」シーンや、教会での葬儀の際に「ツンと顔を背けられる」シーンしかないので、なぜ仲がいいのか納得できない〔原作の章の順番を無視してつなぎ合わせたため、筋が通らなくなった〕。ピクニックが終わると、そのまま全員が洞窟に入って行く(2枚目の写真)〔マットペインティングだが、それなりに雰囲気は出ている〕。全員が、1人1本長いロウソクを持っているが、なぜかトムだけは松明を手にしている(3枚目の写真)。トムとベッキーは2人だけでどんどん中に入っていく〔ここにもシドがいるので、この映画では2人が同じ年齢だと言いたいようだが、異父兄弟で同じ年齢ということはあり得ない/異母兄弟ならあり得るが、それならポリー伯母とシドは赤の他人になる〕
  
  
  

洞窟の挿話は、原作では29~32章にかけて小刻みに書かれている。映画では、それを一つにまとめて描いているので、前後するシーン、原作にはないシーンなどが続出する。映画で最初に描かれるのは、トムが滝のように流れる水流の後ろを通り抜ける場面。これに似た場面は31章の冒頭にある。その後の短い会話、「他の子たちの声が聞こえないわ」。「そうだね、戻った方がよさそうだ」は同じ31章の「コウモリ」の後〔コウモリが怖いから戻れない〕。映画では、トムが王座のような石を見つけ、その後で、コウモリの一群に襲われる(1枚目の写真)。コウモリから逃げると、また王座が現れ、どうどう巡りをしていることが分かる。ベッキーは不安になる。原作と大きく違うのは、その後。トムが狭い穴に入ろうとすると、左側にあった柱が外れ、天井の石が大きくズレること(2枚目の写真、矢印がズレた場所)。2人で、それ以上崩れないようにしようと石の下に入るが、手前で大きな崩壊が起き、ベッキーのリボンがその中に埋まる〔ベッキーのリボンが発見されるのは、原作では30章の最後〕。従って、2人は、さらに奥へと進まざるを得ない。奥にあったのは、断崖絶壁の途中に人為的に作られた細い道(3枚目の写真)〔原作には、このようなスリリングな場所はない〕
  
  
  

村では、戻ってきた荷馬車にトムとベッキーがいないので大騒ぎになる〔原作では、30章の後半。ただし、当日ではなく翌日になってから〕。捜索隊は滝の裏を通り、王座の所まで到達する。しかし、その先でベッキーのリボンが発見され、その先に行こうとすると、大規模な崩壊が起こり、通路は完全に塞がれる。これで、2人の救助は不可能になった〔原作では、最後まで捜索が続けられる〕。この凄まじい音はトムたちにも聞こえ、2人も事態が深刻になったと悟る(1枚目の写真)。トムは水場の前に松明を立てると、「もうダメ」と泣き始めるベッキーを慰める(2枚目の写真)〔原作では、31章の後半に似たような場面がある〕。次のシーンでは、ベッキーが、「トム、私、お腹が空いたわ」と言い、トムがピクニックでもらったお菓子を取り出す(3枚目の写真、矢印)〔原作では、31章の半ば/絶望して泣いた後の食欲は、少し不自然〕
  
  
  

ここで、トムが凧糸を取り出す。糸の端をベッキーに持たせ、糸の伸ばせる範囲を探検する。「何かしなくちゃ」というのがトムの論理。ロウソクのひとかけを持って行く(1枚目の写真、矢印は凧糸)〔食事の時にはあった松明が、いつの間にかなくなっている⇒原作では松明など持っていない/さらに、原作では、凧糸は32章になって登場する。その時には、もう2人のロンソクは尽きてしまい、周囲は真の闇。何も見えないので、トムは、凧糸を頼りに探検に出かける。状況はより絶望的で切羽詰まっている〕。トムは、探検を続けるうち、壁面に刻まれた文字を発見する。そこには、「J. MURRELL 1832」と大海賊マレルの名が彫られていた。その下の記号は、そこが宝の隠し場所である可能性を示している(2枚目の写真)。トムは、石をどけて中に入り込むと、そこには金貨の詰まった木箱が隠されていた(3枚目の写真)〔原作では、31章の最後にインジャン・ジョーをチラと見るが、宝の発見は洞窟から脱出し、体力を回復した後の話(33章)〕
  
  
  

トムが大喜びで穴を抜け出した時、持ってきた小さなロウソクは消えてしまう。そこに現れたのが、松明を持ったインジャン・ジョー。トムは断崖の道を逃げ、突き当たりの岩場を這い上がる。インジャン・ジョーは後ろからトムの足をつかもうと登ってくる(1枚目の写真、黄色の矢印はトム、赤の矢印はインジャン・ジョー)。トムは持っていたドア・ノッカーを手に取ると、それをインジャン・ジョーの頭目がけて投げつける(2枚目の写真、矢印はドア・ノッカー)。インジャン・ジョーは、そのまま滑り落ち、弾みで断崖から深淵に落ちていく〔原作では、2人の生還後、洞窟の入口を封鎖したため、インジャン・ジョーは餓死する〕。トムは、ベッキーに向かって、「あいつがここにいたってことは、どこかに出口があるはずだ」と話しかけるが、ベッキーには衝撃が大きすぎ、狂ったように笑い出す〔原作の、「インジャン・ジョーは正規の入口しか知らなかったので、入口を封鎖されたため餓死した」という展開より、「インジャン・ジョーは、マレル専用の別の入口から出入りしていた」とする映画の方が、遥かに説得力がある〕、トムがベッキーを宝物の部屋まで連れてくると、そこでロウソクの火が消える。しかし、辺りは真っ暗にはならない。どこかから太陽の光が差し込んでいる。トムは岩場の上から光が射し込んでいるのに気付く(3枚目の写真)。そして、放心状態のベッキーに「戻ってくるからね」と言い残すと、岩場を登る。開口部に立つと、原作ではミシシッピー川が見えたと書いてある。
  
  
  

夜のパーティ会場。そこには、「HAIL OUR HERO TOM SAWYER(我らがヒーロー、トム・ソーヤ万歳)」と書かれた幕が掲げられている。サッチャー判事がトムの英雄的行為を讃える(1枚目の写真)。しかし、トム・ソーヤの姿はない。しばらくして、トムとハックは、洞窟から持ち出した宝箱を持って会場にやってくる〔原作では12000ドル/The Inflation Calculatorによれば、1840年の12000ドルは2017年の30万ドル≒3000万円→意外と少ない/原作では、当時は、「週に1ドル25セントあれば、住宅と食事の費用を払って、1人の子供を学校に通わせることができた」とある。1.25ドルは2017年31.17ドル≒3000円/日本の感覚だと3万円は要ると思うので、The Inflation Calculatorが間違っていて、3000万円ではなく3億円かもしれない。それでも、大海賊の宝物という割には少ない気がする〕。判事は、金貨を発見したことでトムを讃える(2枚目の写真)。その時、ベッキーがトムにかける言葉はいただけない。「婚約してること、忘れないでね」〔もちろん、原作にはない〕。そして、お菓子のパーティが始まる。シドが皿に付けたケーキを食べていると、トムが「シド」と呼びかけ、振り向いたシドの顔にストリベリー・ショートケーキを丸ごとぶつける。シドは、いつも通リ、「ポリー伯母さん!」と泣きつくが、伯母は「トムは、いつか大統領になるかもね」と他の参列者と話していて、シドの頬をピシャリと叩く(3枚目の写真)。原作にはないが〔大統領云々は、マフを死罪から救った後に囁かれた言葉〕、観ていて痛快だ。
  
  
  

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